プロ―アマチュア
プロ―アマチュア、という概念は、一般的にはやや曖昧に使われている。仮に二つが区別される場合に、客観的な基準として言えるものには、以下のものがあるだろうか。客観的、といえるものは、①社会的に個人を超えてそれが認知されうる、②物理的に計測できる、③論理的に考えられている、のいずれかの性質を有するものと捉えたうえで、①、②に関わるものを、挙げる。
1 主要収入源
社会的位置を考慮して、その活動を主要収入源としているかどうか、というユネスコの基準にも見られるものがある。ただし、これについては、ピアニストのミケランジェリが子供の頃、家族から言われていたという、自作の曲ではなく、過去の人の制作曲を弾くことで、金銭を得るのはよくない、という考え(リディア・コズベック著・蛯原万里訳『ベネデッティ・ミケランジェリ 人間・芸術家・教育者』ムジカノーヴァ、1992)もある。
ハイアマチュア、という表現は、投資して環境をプロ同様に作って行っているが、職業は別に持ち、音楽を収入源にしていない人、という収入の有無で区別する観点のものとなるのだろう。
2 発音などの演奏技術
楽器という物理的な道具を扱うには、技術が必要な結果、アマチュアオーケストラとプロオーケストラの違いは音の出だしにおける発音が行われているかだ、と言われる場合もある。発音、つまり管楽器でいうタンギング、は物理的に存在するもので、その有無は基準として存在するかもしれない。Gerhard Mantel , Cello technique principles and forms of movement, Indiana University Press, 1975(1995New ed.)は、奏法を具体的=物理的に解説する。
3 経歴
クラシックの演奏世界は、美術や、音楽でもポップス・ロックのように、自分で制作する世界と比べると、「プロ」「アマチュア」、という言葉が、使用されることが多いようである。
プロとして活動する人は、共通して(1)音大卒業暦、(2)留学暦、(3)コンクール暦、のいずれかをもち(例えば『新訂 音楽家人名事典』日外アソシエーツ、1996参照)、これも帰納的な基準として存在している。
1、3は社会的基準、2は物理的基準、といえる。
一方で、アマチュア演奏家が、音楽を行う根拠をもつとすると、何に依るだろうか。音楽演奏というのは、楽器操作、という物理的行為であり、一定の物理的技術的基準は満たさないと、行いにくく、社会的位置に関わらず、技術習得は避けられない。したがって、1、3の基準を満たさない人、という意味でのアマチュア演奏家ということで、扱いたい。
一 技術習得の場
音楽大学の授業内容は、各大学のシラバスを見れば分かるように、①個人レッスン、②アンサンブル・オーケストラ、③音楽学、が柱で、音大所属であることで、例えば会社員が一日の8時間以上を仕事に費やすように、そのような時間を楽器練習や音楽の勉強・研究に費やすことができる。
楽器の演奏技術の習得の核となるのは、三者のなかで、個人レッスンであり、個人レッスンは大学外でも行われる。ある同じ先生の、(1)大学内での個人レッスン、(2)自宅での個人レッスンとは、おそらく質的な差異はないはずである。差異があるとすると、むしろ教授者側の真剣さの問題になるのではないだろうか。
このように、システム的に、演奏技術は、作曲や楽器制作と同様、大学外にも、習得の場が存在している。
*なお、音楽学になると、他の学問分野と同様、専門家が自宅で教授するシステムは、現代日本では存在しないので、大学内でしか、その研究手順を学びにくいだろう。
二 先行演奏の消化
クラシック演奏は、芸術領域の中では特殊に、自分の作品ではなく、同時代や過去の人の作ったものを扱う。過去の作品を扱う点で、歴史研究、古典研究的側面が存在している。
古典研究は、ある文献の書き手の、思想文献なら、思考内容、歴史文献なら、頭の中で表象していたその人が目にした当時の出来事、といったものを、その人の文章をもとに、復元する作業になる。クラシック演奏も、単に音符を楽譜上に並べていたのみではなく作曲家が頭の中で確実に流していたある音楽を、楽譜や周辺資料により復元する側面がある。
クラシックでは、他の人の作品を扱う結果、その作品を扱う他の奏者の実演・録音という先行演奏も存在する。一般の研究では、論文を書く上で、①先行研究の収集、②先行研究で指摘されていない事柄の把握、③それによる執筆、という手順が取られ、先人が論じたことをそのまま同じように論じて文章を書くことはありえず、確実に研究を研究史において発展させることが、原則となっている。
演奏も同様に、先行の各演奏での、同じフレーズの演奏の仕方を比較し、a)よりフレーズの特徴を表現できているものを採用したり、b)それがある先行演奏でうまく表現されていなければ、その演奏をきっかけに、逆に代わりにどのように演奏すればいいかを考える、というような先行演奏を消化する手順が考えられる。先行演奏を消化し、ある曲の演奏をより充実化させられれば、先行の演奏がすでにある中でわざわざ自身が演奏を行う、根拠を得られるのではないだろうか。なお、これはプロ・アマ問わず必要な考え、あるいは有効性のある考えだと思う。
*ただし、演奏についての考え方としては、(1)演奏史を発展させる、という方向の考え方と別に、(2)ある場での音楽需要に答えれば役目を果たしたと捉える考え方もありうる。作曲も、作曲史を発展させる、という考え方とともに、儀式、セレモニーその他ある場での欲求を満たせばよいという考え方がある。
三 Plan-Do-See
アートマネジメント理論では、Plan(計画)-Do(実行)-See(評価)のサイクルにより、実演等は向上していくべき、または向上できる、という考えがとられる。これは、アマチュア演奏家でもこのサイクルをとれば改善というものが可能、という考えを含む考え方であり、この手順をとれば、アートマネジメント関係者には、一定の承認が得られるだろう。ただし、これは枠的なものである。
四 録音の質
録音機には、①歪み率、②雑音率、③採取周波数帯、という性能要素があることで、性能の違いが存在している。おそらく、
アマチュア―低音質録音機―聴き手
プロ ―高音質録音機―聴き手
という関係が存在し、アマチュア演奏(ただし録音)が不慣れに聞こえる一因は、使用録音機として、普通のCDプレーヤー、ポータブルテーププレイヤー、家庭用ビデオカメラ、にような、低音質のものを使用していることにもあるのではないだろうか。Youtubeの映像で、雑音が多く演奏が悪く聴こえるものは、そういう可能性がある。